わたしらしさをあたらしく。フッ軽あべべのプロフィール

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はじめまして!フッ軽あべべです。

わたしは現在勤めて15年になる老舗和菓子屋で店長していたり、町の魅力化事業への参加をメインに活動しています。

数年前までゲーム三昧の日々を過ごしており、少しずつ仕事に楽しさを見出せるようになり、地域にも参加しはじめて丸6年が経ちました。

その結果、店長の職も10年以上継続することができ、同じ方向を向いてくれる家族も増え、『やってみたい!が叶う町』を掲げてローカルサークルの発起人にもなり、ローカル局のCMにも登場してたくさんの町民の皆さんに支えられながらこの町で暮らしています。

という感じで、あらゆる場所で仲間たちと活動しております。こんな感じで紹介すると、一見順風満帆に見えるかもしれませんが、その裏では

● 表現力の乏しさを卑下する毎日

● 焦りと嫉妬であたまがいっぱいになる日々

● 自分の想いと行動のギャップによる葛藤

など、決して安泰とはいえない苦悩もありました。

ここでは、わたしの生い立ちや今までの活動を振り返りながら、

わたしがどんな信念をもって今の仕事と活動に向き合っているのか、いったいどの方角を目指しているのかを綴っていきます!

■ 見出し

両親に言われ続けた「あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ」

自分の世界にどっぷり浸かりすぎてオタクの道へ

「1人よがり」「自分本位」。恋愛も仕事も固く扉が閉まる

100%信頼できるパートナーと一緒になる

わたしらしく生きるために、まだ知らないところに自分自身を連れ出す

父親が亡くなり、感じたのは家族を表面でしかみてなかった

子どもを授かる。自分で楽しみを見出すことは暮らしをよくする

わたしが情報発信する理由

両親に繰り返し言われた「あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ」

今となっては仕事を通してコミュニケーションを重ねたり、SNSなどでも自分の言葉で表現することが少しずつできるようになってきています。

「人見知りしないでしょ?好き嫌いがハッキリしてるから表現力あるよね」

と聞かれることも多いのですが、全くそんなことはありませんでした。

むしろ真逆とも言える性格で、常に人の目を気にしては、自分の意志を持たず流されるように生きてきました。

そんなわたしを形成した原点は、両親の暮らしのつくり方にありました。

今となっては両親にはすごく感謝しています。

が、当時は決して家の中は雰囲気のいいものではなく、父親の自分本位なふるまいに母も手を焼いている姿をみて、幼いながらも「ダメって言われたら逆らったらだめだ」「お利口さんでいなきゃ」「自分のせいで険悪にしたくない」という気持ちが芽生えました。

人見知りのくせに、目立ちたがり屋なので、本当はかまってほしいと思いながらも、それを必死に抑えてお利口さんであろうとしていたのです。

そこから両親の機嫌を伺い、なんでも一人で楽しむ癖がついていきました。

子どもながらに、親の顔色を伺いながら過ごすのは、いまとなってみれば子どもには必要のないことだと考えています。「あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ」と言われると、しがらみで身動きがとれなくなります。

子どもの時にしか経験できないことは沢山あります。その機会を奪ってしまうのは、勿体ないと思います。

いまでも変に「萎縮」したり、表現したくても言えなかったりと、波風を立てることを避け、言われたことをすんなり受け入れてしまうことが多いです。

「本音をいえば嫌われるかもしれない」

「あとで陰口を言われるかもしれない」

息苦しさを感じていながらも、そうした恐怖に勝てず、社会人になるまで常に「適合」しようとする行動を選択しながら生きてきました。

そうやって周りに「適合」させるのがしんどいから、人とはほどよく距離を保って一人の世界に閉じこもる。

極端に人に干渉されることを恐れる人間になっていきました。

それは決してまわりの人や環境が悪いのではなく、「まわりに合せなきゃいけない」と思い込んでいたわたしの臆病な心が原因だったのです。

自分の世界にどっぷり浸かりすぎてオタクの道へ

そこからは、距離を保って一人の世界にどっぷり浸かっていきます。いま思えばこのお陰で自分の活力に繋がるメッセージ達にたくさん出逢えました。

やっぱり一人は心地よくて、引きこもって「ゲーム」や「アニメ」を楽しむ日々が続きました。もう不摂生まっしぐらといった感じです。無気力無関心に生産性のない時間を過ごし、満たされない日々が続いていきました。

この時には気づけていなかったけど

「人との出会いは人生を良いものにする」

と思っています。外に出て、様々な価値観に触れたりする刺激のない暮らしでは、人間性はまったくといっていいほど育まれませんでした。

そんな場所から連れ出してくれたのは幼馴染です。「読書会」と称して、異業種の人間が集まる会が毎月となり町で開催されていました。活字といえば、アニメや漫画繋がりの小説か、ライトノベルくらい。誘われて渋々参加してみると、「会計事務所がサーカスを主催してる」。「建設会社で働きながら仲間と夢を追ってる」など、色んな方から刺激を受けることになります。

どっぷり浸かっていたオタクの道から引き上げてくれました。

 「無知」「1人よがり」「自分本位」。恋愛も仕事も、未来への扉が固く閉まる 

恋愛ではたくさんの失敗がありました。というのも全部わたしの「無知」と「1人よがり」「自分本意」が、相手に負担を強いていました。

相手を尊重するシーンもありましたが、やっぱり配慮せずに自分の意見をハッキリ言ってきた傾向が強いです。

例えば

「クリスマスは友達と遊ぶって決めてるから」

とか無神経に言うてました。

相手の要望は「クリスマスを一緒に過ごしたい」と明確なのに、何ごとも自分を軸に語っていました。

少しずつ、相手が表現してくれたから、わたしも考える機会が増え、ひとつひとつの行動に繋がってきています。

お陰でいまはパートナーと一緒になれているので、「恋愛」から学ぶことは多かったです。

結果的にそうした配慮や心配りは、仕事のコミュニケーションにも繋がります。相手の「要望」を想像するようになり、一手も二手も先に行動できるようになりました

まだまだ後手に回ることも多いですが、オタクまっしぐらの時を振り返れば相手を想像できていると思います。

自分の行動が相手の「安心」や「喜び」に貢献でき、幸せんちょっぴり大きくできることに気づけました

わたしらしく生きるために、まだ知らないところに自分自身を連れ出す

「人の幸せをちょっぴり大きくできる」と気付いてからは、色んなことに挑戦しはじめました。

とにかく実態が見えても見えなくても飛び込んでみる。「100人の前でスピーチ」「新聞の編集、執筆、撮影全部やる」「TEDに出る植松努さんを招いた講演会を仲間と開催する」etc…

ほんとに初めてのことばかりで、仲間には随分助けられました。

でもお陰で、「できなかったことができるようになった」んですね。

会社を飛び出して、地域に自分の心と身体を連れ出して、色んな価値観や経験に触れて「無知」がちょっぴりマシになりました。

見晴らしの良い場所に出かけると、考え方や、見えるものが違ってくるのはたしかでした

「できるようになったこと」は求めてる方にも貢献できるので、とても心地よい気持ちになれるので、また「勉強しよう!」「経験しよう!」のモチベーションにもなりました。

 100%信頼できるパートナーと一緒になれた 

2017年12月に結婚させてもらえました。気立ての良い妻で、自分の意見を尊重してくれますし、間違いだと思えばちゃんと表現して、自分の言葉で意見してくれるステキな人です。

今まで生きてきた中でも一番の成功は

「100%信頼できる妻と結婚できた」

ことです。その安心感がわたしの行動に繋がると思っています。

といっても、デリカシーの無い言葉をわたしが言って、不機嫌にさせることも多く、まだまだ配慮が足りないところが多いです(笑)

助け合って、お互いのマイタイムをつくりながら

「嫁を笑顔にさせる」ことに務めています

よく「やりすぎじゃない?」「ストレス多いでしょ?」と言われます。

しかし割とメリハリのある暮らしができてて、だいたい分業していますので、自然体で過ごせています。

これからも色々探究しながら、より良い暮らしを自分達の手でつくっていきます

父親が亡くなり、感じたのは家族を表面でしかみてなかった

2019年9月に父親をガンで亡くしました。「わたしが情報発信する理由」にも繋がるのですが、父親を深く知る機会を自らつくれなかったことに悔やんでいます。

家庭の中では「自分本位」で「ひとりよがり」な父親だった印象が強いです。ほんとうに怖かったので、コミュニケーションを子どもからとるのは挨拶くらいでした。

余命などは父親には最後まで伏せていました。父親は仕事への復帰を望んでいました。いたたまれない気持ちのまま、結局最後まで伏せる結果となったのですが、反省しています。

父親も長くないのは悟っていたのでしょう。言葉には出さなくても、私と弟を病室に呼び出して改まって会話をする時間を父が設けてくれました。

少し薬の作用でボーッとする中、真剣に父は弟に話をしていました。わたしはというと「楽しくやるさ」とヘラヘラしながらふるまっていました。

ふりかえってみれば、

「自分への心配をかけたくない」のと「父に余命宣告を受けているのを悟られたくない」ところから、あんなふるまいになってしまった

と思っています。配慮の気持ちもあったと思うのですが、それは父と向き合う貴重な時間だったと反省しています。

父親を深く知る機会を自ら捨ててしまったのです。しかし、ありがたい事に、亡くなってから父が面倒をみていた仲間や、知人の方から入ってくる情報もありました。お陰様で「父親らしさ」が少し見えてきました。

しかしあくまで間接的です。最初は良かったと思いましたが、全然良くありませんでした。父の言葉でわたしは聴きたかったのです。

肉声でなくても、字でも、なんでもよかった。父の言葉で聴きたいです。

まぁ今更悔やんでも仕方ないのですが、お陰で

わたしは自分の言葉を、家族や大切な仲間に伝わる方法で残していくという強い気持ちが生まれました

わたしの綴った言葉がもしかしたら、家族に貢献することにも繋がるかもしれません

見てくれても、見てくれなくても構わないのですが、「遺言書」にしれっとブロクのQRコードとかそえさせて頂こうと思います(笑)

子どもを授かる。楽しみを見出すことは暮らしをよくする

コロナ禍の中で、せがれができました。産まれる瞬間には立ち会えなかったけど、とっても嬉しかったです。

いまこの記事を書いている時は生後6ヶ月を迎えました。自分が親になる実感は産前も産後もまだまだ弱かったと思います。妻の要望を想できず、自分の都合を優先させていました。

妻は母になり、夫は子どものままってことです(笑)

やっぱりお互いに初めての「子育て」なので、わからないことが多いです。

そんな中でお互いを配慮するのは、安心に繋がりますから、もっと最初の段階で配慮すべきでした。あーでもない、こーでもないと走りながらも、擦り合わせてようやくペースが掴めてきました。

そんな中でも「せがれ」はどんどん「笑顔」が増えていきます。わたしもとっても幸せになります。

そんな中でいま実践してるのは

「こうしたらお互いに楽しい」をたくさん考えて実施する

いまはそこに努めてます。

かたっぽだけ楽しいは、持続的じゃないですし、「せがれ」も楽しいのかな?って思っちゃいます。

毎日一緒にいますが、朝笑ってくれる「せがれ」を見ると、

「会えたね。父ちゃんも嬉しいよ」とつい言ってしまいます。

それだけ一日一日が大切に思えてきてます。これから一緒に家族と未来を作るのがとても楽しみです

わたしが情報発信する理由

自分を表現するのが苦手な陰キャ具合がここまででおわかりいただけたと思います(笑)いまだにもがきながら奮闘する毎日です。

しかしここで向き合わなければまた以前のように自分を卑下したりする毎日に逆戻りしてしまいます。結局のところ、わたしが情報発信する理由は

「自分を表現できない」ことを克服したいのが、発信する理由です

まずはそんな自分を受け入れて、いっそそれを発信することにしました(笑)割と周りにもあまり口に出したことがないことばかりがプロフィールに綴られてます。

「自分を表現できない」を克服するために大切にしたいのは

“わたしらしくをあたらしく”していくこと

学びを止めず、学んだことを勇気を出して実践し、行動しつづけれる生き方をしていきます。

それによって「自分を表現できない」を克服したいわたし以外の方にも貢献できたらと考えています。

目に見えない価値として

「かけがえのない1日が豊かになり、幸せが大きくなる」

直接的な価値として、

家庭と職場で”わたしらしく”過ごすことができる

わたしの提供させて頂く価値によって、幸せが大きくなる人も増やしていきたい。

そのためにも自分自身が“わたしらしくをあたらしく”を大切にしながら、楽しく活動していきます。

是非、これを読んでくれた皆さんとも繋がっていければと思います。

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